2001年に続き、2002グラン・プレミオ・ヌヴォラーリに参戦しました。

キッチンタイマーたくさん持ってストップウォッチも2つ持って計測には万全を期したつもりでしたが・・・。2001年はGPの1週間前に妻と一緒にローマに入って優雅にローマの休日なんかしましたが、今年は1週間前にミラノに入りました。着くなりマルペンサ空港で先に手配をお願いしていたレンタカー(オペル・ザフィーラ2.0D)を借りて毎日ドライブを満喫しようと言う大胆な計画でした。残念ながら撮った写真は編集中に誤って消してしまい残ったのは最終日の写真だけでした。写真は何とか他から頂きホームページに載せることが出来ましたほんの少しでもイタリアの雰囲気が伝わればと思います。

2002年のGPヌヴォラーリは、ちょうどF1イタリアグランプリの日程と重なりマルペンサでは日本のF1ジャーナリストの姿もありました。イタリアに着いていきなり左ハンドル右側通行は去年GPで経験しているとはいえ、ミラノの都会で一般車両と走るのはとても大変でした。と、いうのは夕方だったためも有って車が非常に多く、シグナルグランプリ宜しくシグナルがグリーンで先頭から最後尾まで一斉にスタートします。スピードが速くてレーンチェンジするのもみんな一緒のスピードですから慣れればレースと同じで楽です、ロータリーがいっぱいあってその中をトラム(電車)が横切って走っていてもう大変!マニュアルのレンタカーでよかった。日本と違いオートマチック車が3%というから確かに車は多いけれど、流れが非常に速く、皆さん上手に運転します。レースと同じでサイドミラー・ルームミラーに気を配っているとほかのことがまったく出来ないほどで、日本の交通がいかに遅くて退屈な物か考えてしまいます。テレビを見るとか携帯電話使うとかまったく出来ません。自動車の交通と言う物はこうなんだと実感しました。

  

さてイタリア到着後2日目はミラノのドゥオモの前にフェラーリが大挙して集まるとの情報を聞き見学しに行きました。ドゥオモはホテルから歩いて15分程度のところでしたので見に行くと、いるはいるは赤い車の山、250TRから575Mマラネッロまで何台いたのだろうと思うぐらいたくさんいました。おじいちゃんから、小さな子供まで詳しい事、1台入場してくる毎にイタリア語で何やらコメントするわけ、すばらしい!そしてなにやらパレードするわけだが、私たちは次に何をしようかとスカラ座の前の広場で休んでいたら、轟音が響いたその直後にバイクに乗ったおまわりさんが先導し250TRが、そしてF40プロト、288GTO・・・おまわりさん一緒なのに100mあるかないかの直線を全開で走って、狭い道をドリフトしていくんですな。イタリアだなって実感しました。その後私たちはモンザに向かって車を走らせました。モンザは次の日曜日F1を控えていて華やかかなーなんて思っていきましたがそこはイタリアの歴史のあるサーキットらしく外周の道からはサーキットがまったく見えず、また公園に囲まれていて車で入っていけそうなところだけはF1関係者の入り口でさすがに閉ざされていました。さきほどドゥオモに集まっていたフェラーリが来ていたらしくたくさんのフェラーリとすれ違いました。

3日目はトリノ自動車博物館へ行きトリノ見学、4日目はコモ湖へスイス・アルプスを見てのドライブでした。5日目はミラノ見学、お買い物、6日目にスタッフと合流、7日目にマントバへ向かいました。マントバはミラノからA4(べネッツィア方面)に乗りヴェローナの手前からA22(モデナ方面)に入る、ミラノから2時間ぐらいのところです。その後はモデナ・マラネッロのリストランテ・フェラーリのバールでカプチーノを飲みフィオラノのテストコースでテスト中のエンツォとモデナカップカーを見学しました。前日の3時マルペンサへO氏を迎えに行きその夜マントバへ戻りました。このとき道を間違えてべネッツィアの近くまでいってしまいました。オペル・ザフィーラはアクセル全開で180キロ出ますがアウトストラーダの3車線の左側・追い越し車線を走っているとそれ以上のスピードの車が遠くからパッシングしながら近づいてきます。絶対右側から追い越したりしません。ですが中央の車線は100キロプラスぐらいのスピードですから180キロから100キロまで落とすわけです。また180キロまで上げるのも大変です。と、まあ、こちらの方々は、一般道でも・高速でもスピードを落とさない・落とさせない努力をするわけです。  ラリーの前に結局1500Kmも走ってしまいました。



2002年のポスター


ルートは2001年に準じた物で総行程906キロ・23時間。今年はランボルギー二の工場がチェックポイントでした。やっぱりフェラーリのほうが良かった


またいただきましたASIA 3位のカップ
総合121位(参加230台)